代表取締役牧元 利行
創業の精神
私は23歳の時にスーパーの軒先の「焼鳥屋台」で独立を果たしました。
創業は千葉県東金市内の今はなき、
「スーパーセイフー東金店」の店頭でした。
「地域のお客様に愛される焼き鳥屋」を目指して、
雨の日も、風の日も外で毎日4年間休みなく焼鳥を焼き続け、
焼鳥に魂を込め一本一本焼き、
接客にも一挙手一投足に真心を込めてやってまいりました。
強い想いは叶う
屋台は4年間休みなく営業しました。
その時の想いは
「もっともっと多くの人に旨い焼鳥を届けたい!」
そんな純粋な想いだったと思います。
そんな屋台は大繁盛しました。
毎日行列のお客様を見ながら、汗かきながら充実した仕事生活を送っていました。
そして、ついに28歳の時に元職場の同僚の「熊さん」こと、現在当社の幹部である感動プロデューサーの多田 英司さんと千葉市中央区の本千葉駅前の地に、店舗1号店の「本千葉駅前の串屋横丁」という居酒屋業態を開店いたしました。
アルバイトスタッフ6名で始めたお店は大変繁盛し千葉市内でも「噂」になるほどのお店になりました。
そこにはオープニングスタッフに創業メンバー当社社員、おもてなし企画室室長の「渡辺大将」もいました。
お客様に、東千葉統括マネージャーの「小畑大将」もいました。
何故そのお店は繁盛したのか?それはただただ、お客様の事を本気で「家族友人と思い」お迎えしていたこと。
お客様一人一人のお名前を憶えて全てのお客様にとっての暖かい言葉をかけていました。
そして、焼き鳥の屋台時代からこだわってきた「熱々で最高の串焼き」を絶対にお客様に召し上がって頂きたいという気持ちと情熱で、常にスタッフが熱狂しお客様の為にかけずり回っていました。
そこには常に「お客様とスタッフの笑顔」そして「お客様とスタッフにとって最高の時間と空間」が存在していました。
只今、屋台から始まった会社が現在「営業7店舗」、「本部事務所」、「串刺し工房」の合計9事業所になりました。
これも、日ごろお世話になっているもぢょいグループに関わって下さる皆様のおかげだと思っています。
これからも「謙虚」に「誠実」に「自己成長意欲」をもって社長が先頭に立ち日々「改善」「実行」そして「感謝の気持ち」を忘れずに精進してまいります。忘れずに精進して参ります。
もぢょい誕生
感動プロデューサー多田 英司
皆さまは、どのようにして会社に入りましたか?
なぜこの会社を選びましたか?
僕の場合は、1本の電話からです。
今から15年前、ディズニーランドで一緒に働いていた先輩の牧さん(現もぢょい有限会社社長)から電話がありました。
「一緒に居酒屋やらないか・・・?」
速攻断りました!!!!だって僕、お酒が苦手なんです。
更に一か月後、2回目の電話。
「一緒に居酒屋やらないか・・・?」
速攻断りました!!!!
それから半年後、3回目の電話です。
「一度会って話せないかな?」
約束の場所に行くと、そこには古びた焼き鳥屋台で生き生きと焼き鳥を焼く牧さんの姿と、長蛇の列!!
それから、居酒屋計画の話は進むにつれ、段々と不安になっていきました。
自分はお酒も飲めない。料理もできない。しかも人見知り・・・。
自分にできるかどうか怖くなり、僕は逃げました・・・。
向かった先は長野県の農家。
3か月くらい経った頃でしょうか。
出荷作業をしていると遠くの方でボロボロの軽トラから聞こえてきたんです。
「一緒に居酒屋やらないか!!」
「俺にはお前しか考えらんねぇ!!」
それから半年後・・・・
2005年5月11日ついにお店がオープン!!
オープンしてから気付いたことがあります。
居酒屋は、お酒を売るところじゃなく笑顔を売るところなんだって!!
僕らの笑顔が最高の肴になるんだって!!
そして、この仕事が大好きなんだって!!
ここは、僕らのテーマパークなんです!!
さらに半年後・・・・
ついにやりました!
牧さーん!!只今、満席です!!